インドネシアのサッカー場で暴動が起こり、120人以上が亡くなる事件がありましたね。
暴動が起こったきっかけが、試合に負けたことがきっかけでピッチにファンが押し寄せたそうですが、その勝敗を決定づけたのが日本人選手だったそうです。
その日本人選手とは誰なのか?また暴動事件となってしまった詳しい原因を調査しました。
インドネシアサッカー暴動事件日本人選手は誰?
インドネシアサッカー暴動事件で最後にゴールを決め、チーム(ペルセバヤ・スラバヤ)を勝利に導いた日本人選手は山本奨さんです。
またインドネシアサッカー暴動事件の際には相手チームにも日本人選手の山口廉史もいました。
どちらの選手も暴動時には避難していたため安全だったそうです。
山本奨
- 名前:山本奨(ヤマモトショウ)
- 生年月日:1996年11月12日
- 年齢:25歳
埼玉のサッカー強豪高校である武南高校を卒業。
スペインへサッカー留学し、5部リーグに所属していたCDラティーナに加入します。
31試合8ゴールという結果を残したことから、モンテネグロ1部リーグで毎年優勝争いをする強豪のFKルダルと契約をすることになります。(参考:ユーロプラス)
その後は
- ペトロヴァツ
- スパルタク・スボティツァ
- FKイスクラ・ダニロヴグラード
と移籍をしています。
山口廉史
- 名前:山口廉史(ヤマグチレンシ)
- 生年月日:1992年9月16日
- 年齢:30歳
サッカー名門校である桐蔭学園中学校と高等学校を卒業後、法政大学に進学します。
卒業後は
- ホウガン・ユナイテッド
- ラオ・トヨタ
- ウボンUMTユナイテッドFC
- アユタヤ・ユナイテッドFC
- ラムパーンFC
を経て、2021年に現在所属するアレマFCに移籍します。
インドネシアサッカー暴動事件の原因は?
インドネシアサッカー暴動事件の原因は、サッカーの試合で負けたチーム(アレマ・クロノス)のサポーターが興奮してピッチ内に入り暴動が起きました。
その際に警察が催涙ガスを発射したところ、ピッチにいたサポーター達が混乱し出口に殺到。
混乱状態で人が密集する中、窒息してしまった方や、踏み付けられてしまい亡くなってしまった方が多かったようです。
インドネシアではスポーツの試合結果に対する賭け事が盛んらしく、特にサッカーは他のスポーツと比べても熱狂しやすいようです。
負けたチームのサポーターが怒り、熱狂的に暴動と発展してしまった一因として、金銭的な賭け事が盛んなことが理由としてあるのではないでしょうか。
初期の報道の段階よりも人数が増えていますが、重症の方も多くまだ増える可能性はありそうです。
過去にあった同様の事件は?
過去にもサッカー場でサポーターや観客が圧死してしまう同様の事件がありました。
エスタディオ・ナシオナルの悲劇
- 1964年
- 東京オリンピック南米予選
- 死亡者数328人
- 負傷者数500人以上
- 主な死因:圧死
ペルーの首都、リマで起きた事件。
審判の判定に対し観客が不満に感じ暴動に発展。
その際スタンド内が大混乱となっていたため事態を沈静化するために、警備側が催涙弾を使用。
その結果、観客がパニックとなり一斉に出口へ押し寄せた結果、多数が圧死してしまう。
今回のインドネシアの事件と同じような背景になりますね…。
ヒルズボロの悲劇
- 1989年
- FAカップ準決勝
- 死亡者数97人
- 負傷者数766人
- 主な死因:圧死
混雑防止のために出入口ゲートを開いていたところ、立見席へ観客が殺到しすし詰め状態となった結果多くの死傷者を出した事件。
この事件後は再発防止のために立見席を廃止し、全てを椅子席とすることで対応。
その後は同様の事件は起こっていません。
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